今日も 来て しまった

おいしく食べて、温かい布団で眠る。しあわせのかたちを考える日々の記録

定食春秋(その 1)朝の牛皿定食

f:id:socius_lover:20190202045503j:plain

コンビニ業界は離合集散を繰り返したのち、セブンイレブンファミリーマート、ローソンの三つ巴の様相を呈しています。独禁法にかからぬ程度に肥大化していくのは資本主義の定めなのか、メガバンクなんかもそうですよね。


で、牛丼業界。言わずもがなで、吉野家松屋すき家の三強がせめぎ合ってます。なか卯すき家傘下だし、なんなら親子丼屋さんだし除外します。個人的には、牛丼なら吉野家、定食なら松屋、バリエーションならすき家といった使い分けですかね。

しかし、牛丼業界もかつては神戸らんぷ亭、アッシュドゥ、牛丼太郎などの小規模チェーン店がしのぎを削り、天下を狙っていたものです。ごめんなさい、天下は遠いですね。ココストアとか、スリーエフとか、ホットスパーとか、天下は遠かったですよね。ampm は惜しかった気がしますけど。


閑話休題、今はなきこうしたお店にも搾り出せばそれなりに思い出があるものです。

アッシュドゥは学生の頃、近所にあったので夜中の2時くらいによく食べました。下高井戸の長い商店街を徘徊した放蕩の日々、懐かしいなあ。定食が充実していて、味は松屋より好みでした。

らんぷ亭は水道橋の東口の店舗が思い出されます。講義の合間に馬券を買いにいく道中、黄色いビルに乗り込む前に何度か食べました。跡地にはすき家があって、栄枯盛衰を感じます。


そして牛丼太郎。たしか神保町店になじみがあり金太郎みたいなキャラを覚えています。とにかく安かった記憶があるので、足をのばして食べに行ったような。あれ、吉野家だったかもしれない、どっちだっけ?  あれ、九段下だっけ?

まあ、いいです。記憶のなかの太郎さんは、吉野家と遜色ない牛丼を、お値打ち価格で提供してくれていたのです。それでいいじゃないか、吉野家だったかもしれないけどさ。


f:id:socius_lover:20190202050123j:plain


さてさて、やってきたのは茗荷谷。かつての牛丼太郎のスタッフが、いろいろあって居抜きで始めたという丼太郎。なか卯松屋のすぐ脇にあるのが競争社会の厳しさですね。

頼んだのは朝の牛皿定食 380 円。ご飯に玉子、お新香、ノリ、味噌汁、そして当たり前ですが牛皿。アラカルトで頼むよりも明らかにおトクな一品で。ひと口、ふた口とご飯をかきこみ味噌汁をすする。うん、おいしい。

そして、牛皿をご飯にパイルダーオンすると並玉味噌汁お新香付きの完成です。途中でのせるくらいなら、牛皿でなくてはじめから牛丼を頼めばよさそうなものですが、銀シャリをそのまま食べたいという贅沢な願いもあるわけで。


f:id:socius_lover:20190202050148j:plain


ああ、こんな味だったっけ。吉野家に近似してるという記憶は間違ってないなー。これ、牛丼に対するものとしては最大級の褒め言葉なんだよなー。などと食べ進めていると、あとからきたお兄さんが「つゆだくで」と食券を差し出しています。あれ、ここ吉野家だっけ?  そういう符丁は業界の統一用語なのかな?  などとしばし緊張が走り、店員のリアクションをこっそり窺うと「はい」と一言。なんだ、緊張して損しました。 


40 代半ばの朝食としては重めですが、懐かしさもあって最後まで美味しくいただけました。金太郎のイラストも見られたし、こう、最後まで独立系の意地をみせるっている心意気も味のうちでしたね。生き残ってるミニストップのような、ね。


ごちそうさまでした。