今日も 来て しまった

おいしく食べて、温かい布団で眠る。しあわせのかたちを考える日々の記録

麺喰らう(その 164)釜玉うどん+竹輪磯辺天

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讃岐うどんブームはひと頃に比べて落ち着いたけど、立ち食い界隈に与えた影響は大きい。


セルフで天ぷらを選ぶ、あるいはアツアツに生卵としょう油を回しかけた釜玉うどん、なんて発想は以前にはなかった気がする。少なくとも、私は知らなかった。


丸亀製麺は丸亀発祥ではない云々の記事も読んだけど、花まるうどんとともに、讃岐うどんを身近にしたのは間違いない。


さて、本日は釜玉うどん。肉そばがおいしいお店で、うどんもやってますといった感じなんだけど、フツーに釜玉うどんがあるのは嬉しい。


今日はそばの風味やざらっとした食感よりも、うどんの喉越しが欲しいのだナ。たぶん疲れてますねぇ。


アツアツのうどんに載せられた玉子。しょう油をひと回しかけると、卵かけご飯にも通じる香りがしてきます。


そんなツヤツヤのうどんを刻み海苔とともに啜り込むと、磯辺もちの面影が。海苔の香りとうどんのモチモチ食感がそう思わせるのでしょうか。


そこで竹輪の磯辺天を塩をひと振りしてパクリ。揚げたてゆえに内に秘めた熱気、揚げたてゆえに香ばしい衣、ベストマッチすぎるな、コレ。


東海林さだお先生のエッセイにもあったけど、竹輪というのは難儀な食べ物である。白身魚が、釣られて、捌かれて、練られて、焼かれている。


さらに磯辺になるために、衣をつけられ、油にまみれる。なんの因果でこんな目にあうのか? せめてもの手向だ、美味しく食べるのがよろし。


磯辺の半身は丼ぶりのフチで卵に漬け込み、残りのうどんをすする。そばもそうだけど、咀嚼を忘れがちになるので、もちゃもちゃと噛んでおく。


さて、途中水をグイッと飲んで喉を休めて、残る竹輪を惜しみつついただく。青さの風味が、なんとも鼻腔を艶やかにくすぐるネ。


こんどは、エビ天のせて食べようっと。


ごちそうさまでした。