「俺たちは機械じゃねえ」「話はすべて聞かせてもらった」とは、漫画「それでも町は廻っている」に出てくる、一度は言ってみたいセリフ集。
確かに、ドラマや映画ならではのカッコいいセリフは、日常で試してみたくなります。シャア語録ならば、応用もききそうだしね。
自分ならどうだろうと考えると「この店で一番高い酒を持ってこい!」ですね。私が行くような居酒屋なら、たかが知れてるので安心。
これがホストクラブならば、ウン十万円のドンペリが出てきて、えらいことになるのかな。などと愚にもつかないことを思うお昼どき。
ラーメン店でメニューを右から眺めれば、支那麺、雲呑麺、高菜麺、叉焼麺と徐々にお値段が上がり、高菜雲呑麺、叉焼雲呑麺が最高峰。
連日の4桁オーバーは緊張しますが、コロナ禍で忘年会もないし、ランチで少し贅沢してもバチはあたるまい。叉焼雲呑麺に狙いをつける。
よく見ると、雲呑の数が5個か3個を選べるらしい。一番高いもの理論では当然5個を頼むべきだけど、ここで日和ってしまい3個を注文。
正直いえば、食べ切れないのが怖くて。とはいえ、店の最高峰近く。山ならば K2、北岳あたりを登っているのだと自分に言い訳する。
しばらくしてやってくる、大きな丼ぶりの一杯。ダシは淡麗なのに塩っぱいスープをまずひと口。叉焼と雲呑で麺が見えないのが心強い。
叉焼をよけて、細麺をツルツル。いつも通りにおいしい。コキコキと歯ごたえよいメンマ、ショリショリのネギも名脇役の働きです。
さて、主役のひとり、雲呑。ヒラヒラの皮をトゥルトゥルと頬張れば、中の餡はドッシリした歯ざわり。水餃子と一線を画す味わい。
お待ちかねの叉焼は肉厚で、実に食べ甲斐がある。キシキシと繊維質が確かで、適度な塩っけは、白飯に合うだろうなと確信する。
まあ雲呑2個すら自重する中年の胃には、白飯は持て余しますね。後客は5個入りを頼んでおり「これが、若さか」とシャアばりに涙する。
若い頃は、財布に小銭ばかりだったし、食に興味もなかった。食の大切さを痛感する年頃では、お金はあれど、胃がついてこない。
兎角に人の世は住みにくい。まあ、目の前の一杯に罪はありません。ルイボス茶でクールダウンしつつ、おいしくいただきました。
ごちそうさまでした。