バブル経済がはじけたのち、清貧の思想がブームとなった。1990年代初頭、大学生の頃、アルバイト情報誌がみるみる薄くなったのを覚えている。
バブル期は、イタ飯のごとく浮わついた飽食の時代だった。その一方で「セイシュンの食卓」など貧乏メシも現れ、日本の食の転換期でもあった。
貧乏というと感じが悪いけど、清貧という言葉の響きは美しい。今でいえばミニマリストのような「好きでやってます」という主義の発露である。
で、なか卯の生たまご朝定食。白米、生たまご、味噌汁、海苔、以上。清貧を行き過ぎてシンプル。民宿の朝食だって、干物くらいついてくる。
まずは生たまごを粗くかき混ぜ、しょう油をひと回ししてさらに攪拌する。丼ぶり飯に、カルデラのような凹地を成形して、たまごを注ぎ入れる。
マグマが火砕流のようにこぼれたのはご愛嬌。輝くご飯を頬ばれば、黄身のコク、白身の食感、しょう油の香りのジェットストリームアタック。
白米とともに咀嚼すれば、甘みが鼻に抜ける。紅生姜を添えれば、爽やかな酸味がたまりません。出汁のきいた味噌汁で流し込む、幸せな嚥下。
味噌汁のほうれん草もコキコキとおいしい。なか卯の味噌汁はもっと評価されて然るべきです。ここいらで海苔巻きご飯で磯の香りを満喫する。
バブルの恩恵を受けた世代ではなく、ブラウン管の向こう側のディスコの喧騒だけは覚えている。その反動で清貧があるなら、それも悪くないな。
丼ぶりからひと粒残さず白米を食べ、冷たい緑茶でさっぱり。シンプルな食事は、身が引き締まりますね。今日は(も?)1日頑張れそうです。
ごちそうさまでした。