今日も 来て しまった

おいしく食べて、温かい布団で眠る。しあわせのかたちを考える日々の記録

麺喰らう(その 73)鉄板ナポリタン

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ナポリナポリタンはなく、天津に天津飯はない。もちろん台湾に台湾ラーメンはないし、スイスロールもまた然り。


各国料理の日本化というのでなく、オリジナルなのにそれっぽくネーミングしときました、というセンス。そしてそれが定着する鷹揚な国民性。


… … うん、嫌いじゃないなぁ。


ダジャレにまみれたおせち料理の名づけや、親子丼のようにひとひねりしたものもある。ユーモアをさりげなく織り交ぜるこの感じ、さすが言霊のクニ。


本日はそんな中からナポリタンをいただく。


鉄板には黄色い卵焼きが広がり、さらにケチャップの赤、ピーマンの緑が加わった彩り鮮やかな一品。


この場面での鉄板は冷めにくいという実利以上に、単にワクワクするという高揚感を与えてくれます。


チーズとタバスコがついてきて、ますます本場イタリアからはかけ離れていきますが、そんなことはマンマミーア、どうでもよろし。日本にローカライズされたパスタを楽しみます。


カリフォルニアロールだって、いいじゃない。

ニンジャ、ゲイシャ、フジヤマ、いいじゃない。

D A T E 恋したっていいじゃない。


麺をくるくるとすくい取り、パクリ。野菜をモグリ。ウインナーをガブリ。


すべてケチャップ味、予想通りの味わいと、潔いほどの単色。そうそう、こうでなきゃという懐かしい昭和の味。


粉チーズをかければ朱に染まり、タバスコをかければ朱が濃くなる。まさに朱に交われば赤くなる、ケチャップの本領発揮。


鉄板で熱せられてゆく半熟卵だけが逃げ道。そのトロミと甘みのケチャップとの相性のよさは、オムライスで実証済みなり。


しばし昭和レトロを懐かしんだけど、そうか、2つ前の元号になるのか。昭和は遠くなりにけり、令和にもじきになれることでしょう。


それにつけても、全方位ケチャップはノドが乾く。水をのみつつ、味を中和する。この場合、おいしさ=味の濃さなので仕方ないけどね。


キレイに平らげたあとは、紙ナプキンで口元のケチャップを丹念にぬぐう。実においしく、楽しいおじさまランチでした。


ごちそうさまでした。