歳をとってはじめて価値に気づくことがある。心身の健康、家族の存在、豊かな自然。若いころは遠くをみていて、足元を見逃していました。
例えば山菜と聞けば山菜採りのお年寄りが遭難といったニュースを思い出し、果たして、そこまでする価値があるものかと訝しく感じていました。
ところがアラフィフともなると、油ものがキツイ体調だし、ひとつ山菜そばでもたぐるかねェなんて思考回路が芽生えます。自分でも驚きです。
こちらの冷やしはツユがごくごく飲める系です。適度にワサビをといて、まずひと口。井戸水のように冷たく、体がみるみるクールダウンします。
お次は、山菜をつまみ上げては食感を楽しむ。クニクニ、フニャフニャ、サクサク。ワラビ、ゼンマイ、タケノコ、といったところでしょうか。
露地栽培できるわけでなく、旬になると、山へ分け入り見極めつつ摘まれ、熱心に灰汁を抜く。そんな山菜に思いを巡らせつつ、そばをたぐる。
そばも冷たくしめられ、喉越しさわやか、カラダの中から涼がとれる。サービスの揚げ玉もツユを吸って山菜に伍する味わいです。実においしい。
店員さんのゆるゆるとした高齢女子トーク、静かに時間経過を告げるラジオ、居並ぶスポーツ紙と雑誌など、昭和の如き店内は居心地がよすぎる。
スルスルとそばを食べ終え、山菜を丁寧につついて、ツユをふた口ほどゴクリ。炎天下に戻るべくハラを決めつつ、水を飲み干して席を立つ。
ごちそうさまでした。