今日も 来て しまった

おいしく食べて、温かい布団で眠る。しあわせのかたちを考える日々の記録

定食春秋(その 91)餃子定食

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餃子というのは本来、炭水化物=皮、肉・野菜=餡であり、主食足りうるものだという。


さらに言えば本場中国では水餃子が基本で、焼き餃子は残り物の再加熱に過ぎないらしい。


若い頃、美味しんぼでそのことを知り、軽く驚いたものの、とくに感化されずに、焼き餃子のオカズ扱いを続けている。


調べれば、そもそも焼き餃子は満州からの引き揚げ者が〜とかあるらしいけど、餃子は郷に入りて郷に従ったわけです。


ならば、その餃子に対する敬意として、焼き餃子を食べるべきである。


うん、論理的なようで要は焼き餃子が好きなだけですね。


無理なこじつけはやめとこう、サクサクの皮とジューシーな肉汁、それをオカズに食べるご飯が至福なだけです、ハイ。


さて、やってきました餃子定食。


ほらほら、本格中華屋さんでも、日本で商売するからには焼き餃子+白ご飯を提供するわけですよ、などとひとりごちる。


まずは、ザーサイをタクワンがわりにひと口。これも美味しんぼで得た知識だけど、ザーサイを漬け物のように食べるのは日本独特で、本場中国では刻みこんで食材の1つとして扱うとか。おそるべし、雁屋哲


閑話休題。綺麗に2列縦隊を組んだ餃子から、まずは1つつまんで、何もつけずにパクリ。皮の甘みと肉汁の旨みがよくわかっておいしい。


さて、タレを自作しようかナ。この感じなら、酢3にしょう油1、ラー油ひと垂らしくらいかな、などといそいそ小皿を満たす。


あとは無心。


※餃子にタレ、ご飯にワンバウンド、半分かじる、餃子の断面にタレを染み込ませておく、ご飯を食べる、もう半分の餃子をパクリ、ご飯を食べる(※に戻る)


単純作業のごとく食べ進めれば、みるみるスタミナがチャージされてくる。幸いにニンニクは入っていないようで、ランチどきには嬉しい。


1列片づけたところで、水をひと口ゴクリ。スープを半分ほどいただいて後半戦。餃子とご飯をひたすらに往復、よく噛んで、飲み込む。


ふう、おいしい。

中国の人からすれば、なんで焼くかね?  なのかもしれないな〜。餃子の王将が苦戦したとも聞くし、土地に合った進化を遂げたんだな、餃子は。


中国に居場所がないなら、ずっといていいんだぞ、と優しい声を心中でかけつつ2列目もやっつける。


グイッとスープの残りを飲み干すと、すっかり腹くちくなりました。


何というか、はじめてカリフォルニアロールを見たときは、何考えてるんだアメリカ人は?  と思ったけど、食べてみたらありだな、大ありと思ったのを思い出します。


焼き餃子も大ありなんだよ、ほんと。いつか日中餃子友好条約が結ばれますように、と妄想しつつ箸を置く。


ごちそうさまでした。