『人生は短くはかないものだ。この大盛り田舎ソバと同じだよ。一度口にいれると、その旨さと喉ごしのために、心地よさがいつまでもいつまでも続くような気がする。実際は、あっという間になくなってしまうが………大盛り田舎ソバ追加‼︎』
マスターキートン3巻より
「田舎そば」は大学生のころマスターキートンで知った。浦沢直樹作品は食べ物がどれもおいしそうだけど、ご多分に漏れずおいしそうだった。
どうみても「ざるそば」だけど、何が違うんだろうか。インターネットもない時代、辞書を引くこともせず、曖昧にしたまま読み流したっけ。
美味しんぼで読んだ気もするけど、違いがわかったのは30歳を過ぎたころかな。蕎麦の実を殻ごと挽きぐるみにした風味豊かなそばが、田舎そば。
蕎麦の実の芯近くを挽いた更科が都会的なのかねえ。玄米を食べないために流行した脚気が江戸煩いと呼ばれていたから、殻ごと=田舎なのかな。
ともあれ、田舎そば。太くて、武骨なそばをツルツルたぐる。ツユがあっさり目なのが、江戸っ子向けとは異なりますね。キンキンに冷えてます。
ズズッと食べつつ、田舎と都会の分水嶺はどの辺かな、と思う。同じ中央線でも、東京駅から30分は街だけど、名古屋駅からなら山に入ってるな。
そんな名古屋は大いなる田舎といわれるけど、都市化は進む。ならば電車を汽車と呼ぶ金沢は田舎かな、小京都といわれるから逆にそうかもね。
地方から東京に出てきて、気がつけばいい年になって、帰るべき処もなく都会にしがみつく。室生犀星の詩を思いつつ、田舎そばを食べ終える。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたうもの
よしや
うらぶれて冥土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
ごちそうさまでした。