今日も 来て しまった

おいしく食べて、温かい布団で眠る。しあわせのかたちを考える日々の記録

定食春秋(その 571)牛すき丼・小 in なか卯

 

 

牛肉・オレンジの輸入自由化1991年である。それまで牛肉は、ハレの日のお高い料理であり、年に何度かすき焼きで食べるくらいだった。で、翌朝は牛丼を食べた。

 

わが家のすき焼きは、タレで煮込んだ関東風で、甘い味つけに生玉子をつけるのが嬉しかった。具は、牛肉、白菜、しらたき、ねぎ、焼き豆腐、春菊といったあたりか。

 

土曜日の夜にすき焼きを食べ、日曜日の朝に残った具をのせた牛丼を食べる。牛丼といいつつあまり肉はなく、しらたきや豆腐が多かったかな。でも、ご馳走だった。

 

さて、なか卯。和風牛丼がなくなり、牛すき丼が登場した。同グループのすき家との差別化なのか、なか卯はちょくちょく牛丼をリニューアルするので、油断ならない。

 

以前も出していたすき焼き風の牛丼。関西風のすき焼きらしく、牛肉、白菜、にんじん、お麩が綺麗に盛りつけられている。どこか、実家の日曜の朝を思い出す丼ぶり。

 

紅生姜を添え、貴重なお肉を少し端によけて、タレのしみたごはんを食べる。甘くておいしい。うまいの語源があまいだと思い出す味わい。お次はお麩をハフハフと。

 

しみ出るタレが食欲をそそります。そういえば実家のすき焼きにも、お麩が入ってたな。味で記憶が甦るのは、奇妙な体験ですが、この歳になると何もかも懐かしい。

 

家族というゆりかごに揺られ、何も考えず学校に通い、気づけば一人前ヅラして歩くようになった。それが幸せだったと思えるのは恵まれているのだろう、泣けてきた。

 

とはいえ、朝のなか卯でオッサンが牛すき丼を食べながら、涙を流すわけにもいかない。冷たいお茶で心を落ち着かせて、白菜でごはんをかき集めて、キレイに完食。

 

途中ではさむ紅生姜の鮮烈な味が、丼ぶりと思い出の甘ったるさをかき消してくれますね。栄養をたっぷりつけたので、私も誰かのゆりかごにならねばならぬ、かな。

 

ごちそうさまでした。