奥さん、これ病気でなくてキチガイですよ。
幼い兄を抱え、大学病院でこう告げられたときの母の気持ちはいかばかりであったか。
兄が生まれたのが 1960 年代であったことを考えれば、このような医師がいるのは理解できないではない。発達障害なんて言葉はない。かつて知的障害者は精神薄弱、知恵遅れと言われ、あげく魯鈍、痴愚、白痴など重症度がつけられた。悪意があったわけでなく、まだ人権意識が社会的弱者まで遍く広がる余裕が社会になかったのだろう。
ただ、腹を痛めて産んだ子を、そんなふうにラベリングされた母親の気持ちは、想像もつかない。
小さいころの兄は目がクリクリと可愛らしく、母がおぶっているとよく声をかけられたそうだ。その度に単なる赤ん坊の人見知りではない癇癪を起こす兄に、何を思ったのだろうか。
母は同年代の女性では珍しく国立大卒で「学歴の高い母親から知恵遅れが生まれやすい」なんていうことも言われたそうだ。ひどい! なんて憤慨できるのは今の感覚であって、当時は医者がいうならそんなもの、だったのだろう。
母は今でも徹底的に兄の味方だが、兄というフィルターを通して社会に吐きかけられたつらい言葉を、たまに、ぼやく。仕事人間の父は、兄の状態を把握できず、将来についても楽観的であったようで、そういう支援の薄さが彼女を孤立させたのではないかと思う。
健常者と発達障害のあいだに線引きがあるわけでなく、連続体であるのは承知だし、自分は普通なんて思い込み、思い上がりかもしれない。
しかし、姉や私が「普通」に育ったのは母にとって福音であったと思いたい。そうでないと、母親の物語に救いがない。