今日も 来て しまった

おいしく食べて、温かい布団で眠る。しあわせのかたちを考える日々の記録

麺喰らう(その 1019)天津メン in ラーメンのチュー金石店 at 金沢

 

舌というのは幼い頃の記憶に支配される。わが家は外食する家ではなかったので、母親の手料理がほぼ世界のすべてで、たまに父が好きな寿司を食べるくらいだった。

 

そんなわけで、地元の飲食店に入ったことがない。中学生になって、初めて独りで食べたスガキヤは、原体験であるからか、いまだに初恋の味として私をとらえている。

 

こちら、金沢市民には「ラーメンのチュー♩」として知られる中華チェーン。8番ラーメン とともに「知ってるけど、初めて食べたのは大人になってから」の味である。

 

不真面目な学生だったので、長い休みになると時間を持て余した。そんなわけで、祖母が施設入居して空き家となった実家に、掃除がてら何泊かするのが恒例だった。

 

しかしたまに実家に行ったところで、プロパンガスは使えない。風呂は近所の銭湯で済ませるけど、当時はコンビニもない地区だったから、食事はもっぱら外食だった。

 

で、ラーメンのチュー。バスターミナル前にありよく目にしていたけど未踏の地。学生時分の丈夫な胃袋を差し引いても、何も食べてもおいしく、滞在中は通い詰めた。

 

当時よく食べた天津メンにしよう。かに玉のせのシンプルなラーメンだけど、天津飯同様、本場天津には存在しない日式中華料理。みかけるとつい食べちゃう好物です。

 

家族連れて混み合う店内、カウンターの隅に座り、改めて壁に貼られたメニューを眺める。タルメンってなんだろう、気になるけど、初志貫徹で天津メンを注文する。

 

午後は美術館に行くので、餃子&ビールはやめておく。到着を待つ間、同年代の客をみると、同級生かと思いドキドキします。30年以上経てば、お互いわからんかな。

 

やってきたのはシンプルなひと品。スープにトロミはついておらず、ひと口飲めば鶏ガラだしがおいしい。麺は黄色いストレートタイプで、懐かしくて泣きそうになる。

 

少し焼き目のついたカニ玉をむしって食べれば、黄身の旨みとカニ缶の風味が完璧。汗をかきつつ一気呵成に食べ、半分ほどきたところでコショウで味変して完食する。

 

何者でもなく、何者にもなれないんじゃないかと不安ながら、何をするわけでもない学生の日々。無駄な時間が自分を作るのだと、スラダンの三井君に教えてあげたい。

 

墓参りのあとということもあり、涙腺が緩みそうになる。店を出れば、太陽光が照り返す暑さと、醤油蔵と浜風の入り交じった地元の空気感。さらば、再びくる日まで。

 

 

で、おセンチな気分はそこそこに、タクシーで市街地へ向かい、県立美術館で撮影自由という奈良博展を鑑賞する。上野あたりと比べると人出が少ないので助かります。

 

 

新幹線までまだ少し時間があるので、金箔ソフトクリームを舐め、近所で開催の飛び猫展も鑑賞。元地元民としては、灼熱の石川門や兼六園なぞ近づきもしないのです。

 

 

充実の帰省、ごちそうさまでした。ふるさとは遠くにありて思ふもの(肝心なところは略)、ですね。