家族
戦中生まれの母は、食べ物に火をよく通す人だった。焼肉はロースをカチカチになるまで焼き、ハンバーグはグツグツ煮込み、トンカツはひと口大のひれをこんがりと。 親にいうのもなんですが、親の仇のように生焼けを嫌っていた。なんなら、刺身もあまり食卓に…
もともと心が強いほうではなく、何もしないができないタチで、よしなしごとを考えてしまい、自分を追いつめるクセがある。 それではいかんとブログをはじめて、スキマ時間を文章を書いて埋めてきました。それなりに読んでいただけてありがたい。 しかし母親…
配膳には、ルールがある。ごはんが手前の左、汁物が右、奥の左から副菜、副々菜、主菜と置かれる。ローカルルールはあるけど、わが国の左上位の思想が表れている。 なんなら魚の頭も左に向けるほど、考え方は通底されている。しかし、麺類や丼ぶりものには明…
しばらく足しげく横浜に通っていたけど、いろいろひと段落がついた。見慣れない朝ごはんも楽しかったな、最後はどれにしようかな、と考えながら横浜に向かう。 先日は相鉄横浜駅の星のうどんを食べたので、本日は相鉄二俣川駅の相州そばにしよう。新メニュー…
毀誉褒貶あるけど、美味しんぼは名作である。バブルで浮かれたグルメに喝を入れつつ、豊かな食文化の素晴らしさを教えてくれた。残念なのは、思想に走ることかな。 そんな美味しんぼといえば「馬鹿どもに車を与えるな」「山岡さんの鮎はカスや」「しゃっきり…
いきなりだけど、いわゆる「お袋の味」に興味がない。やはりウエットな響きで、決して「ママンの味と違う」なんて思わない。外食の刺激こそ、食の幅を広げてくれた。 こんな言い方はなんだけど、母親の手料理は空気のようなもので、あって当たり前のように感…
人間不思議なもので落ち込むことがあると食欲がなくなる。医食同源、当たり前かもしれないけど、食べても食べなくてもいいや、なんて心もちでは食材に失礼である。 お酒は比較的スウっと入るけど、栄養にならないし、肝臓によろしくない。インゼリーや一日満…
鶏料理で一番好きなのはささみの唐揚げである。子どもの頃、唐揚げといえばささみだった。少しパサついたささみが衣で包まれ、醤油を垂らすと非常においしかった。 両親が鶏を好きでなかったこともあるし、節約料理だったのかもしれない。しかし、刷り込みと…
サンドイッチというと、遠足のときのお弁当を思い出す。耳を落とした薄切りの食パンに、いちごジャム、ハムきゅうり、たまごが挟まれ、色とりどりでおいしかった。 戦中生まれの母が何をみて作ったかはわからないけど、ツナマヨがまだない時代、カツサンドも…
中華料理の本場中国に中華丼はない。わが国発祥のいわゆる和式中華だけど、もはやその存在に違和感はない。むしろ街中華の花形ともいえるポジションではないか。 初めて中華丼を食べたのは、高校の頃である。両親が帰省する際、部活の関係で居残りの私に、食…
魚の調理法としては、やはり「焼き」がポピュラーだろうか。新鮮ならばお刺身がいいし、揚げたり、干したり、バリエーションは豊かである。さすが海洋大国、日本。 あとは煮たり、蒸したりするくらいか。昭和のころは、それほど新鮮な魚が流通していなかった…
少し昔、昭和末期はまだ専業主婦も多く、中食も今ほど華やかでなく、食事は各家庭で手づくりされていた。冷蔵技術も頼りなく、季節ごと、旬の素材を食べていた。 うちの母も例に漏れず、工夫を凝らして食卓を彩っていた。当時は当たり前と思っていたけど、今…
人の記憶は多岐にわたる。体験はエピソード記憶、知識は意味記憶、自転車に乗るなどは手続き記憶に分類される。内的動機や外的刺激でそうした記憶が呼び出される。 驚くべきことに、音楽や匂い、味などで、自分の奥底にある遠くかすれた記憶が出てくることが…
ハンバーグといえば、湯気たちのぼる鉄板、ナイフを入れるとあふれる肉汁、肉の旨みと香ばしさが味の決め手。そんなファミレスのステレオタイプが浮かぶ。 かつて家庭のハンバーグといえばマルシンだった。牛肉自由化後に、食卓に上ることも増えたけど、合い…
実家のコロッケは俵形だった。クリームコロッケにありがちな円筒状で、じゃがいもと挽き肉、玉ねぎが入っていた。もう食べることのできない、懐かしの味。 高校のころ、部活帰りに立ち寄った肉屋で食べたコロッケが平ったくて驚いた。家で母親にきくと「平べ…
餃子をつくろう。何年かに一度、オリンピックのような頻度で押し寄せる感情。ふだんは面倒で、市販の皮や、なんなら焼くだけの出来合いを買ってくる。それで十分おいしいから。しかし、餃子は皮からつくると、シロウトでもそれなりにおいしい。不ぞろいだか…
奥さん、これ病気でなくてキチガイですよ。幼い兄を抱え、大学病院でこう告げられたときの母の気持ちはいかばかりであったか。兄が生まれたのが 1960 年代であったことを考えれば、このような医師がいるのは理解できないではない。発達障害なんて言葉はない…
「おかあさん、これ『高校』じゃないよね。なんて読むの?」ずっと普通学級に通っていた兄は、中学を出たら当然に高校へ行けるものと思っており、門柱にある「養護学校」の文字を初めて見たとき、不思議そうに母に尋ねたという。昭和のいじめっ子なんて加減…
おかあさん、これでおにいちゃん、なおるかもしれないよ まだ幼稚園園児だったころ、6歳上の兄が階段から転げ落ちた。頭をしたたかに打ち、火がついたように泣き叫ぶ兄の傍らで、私はそんなことを言った、らしい。 「らしい」というのも、物心つく前で、ま…