今日も 来て しまった

おいしく食べて、温かい布団で眠る。しあわせのかたちを考える日々の記録

麺喰らう(その 956)中華そば

 

いきなりだけど、いわゆる「お袋の味」に興味がない。やはりウエットな響きで、決して「ママンの味と違う」なんて思わない。外食の刺激こそ、食の幅を広げてくれた。

 

こんな言い方はなんだけど、母親の手料理は空気のようなもので、あって当たり前のように感じていた。今となっては決して食べられないわけで、少し後悔している。

 

インターネットはもちろん、テレビやレシピ本すら黎明期だった昭和に、口伝で料理を覚えた母の料理は、家族の健康と苦しい家計の落としどころだったのかと思う。

 

メニューに文句つけ、寝坊して朝食を食べない、碌なガキではなかったな。申し訳ない。今となれば、何を食べても良し悪しではなく母の料理との差異を考えてしまう。

 

あまり健全ではないので、母の料理からベクトルを逆に向けて、ラーメンなぞいただく。ニンニクを入れるとおいしいダブルスープなんて、昭和の金沢には存在しない。

 

油膜がはって、丼ぶりからは湯気が出ていない。レンゲでスープを飲めば、ライスが合うと勧める、ガツンとした濃いめがすてきやん。ニンニクを加えて、麺をすする。

 

ゆるやかなウェーブの麺は熱くて、しっかりとスープをからめとる。壁のオススメ通り、拉麺胡椒、一味、豆板醤、お酢などを少しずつ入れ、味変を楽しみつつ食べる。

 

叉焼は赤身8、脂2くらいで、肉の繊維がしっかりと感じられる。めんまはコキコキで、スープに溶けない海苔は香り高く、バランスのとれた具材に、笑顔がこぼれる。

 

若いころに食べた味というのは、いくつになっても食べたいもので、大学に入ってから覚えたジャンキーな外食は私の食を大いに彩っている。どれも、塩っぱいけどね。

 

母の料理から離れるという意味では、ラーメンはもちろん、パスタ、ピザ、ナンカレーなどいろいろあるわけで。しばらくは、その方面を攻めつつ、日常に戻ろうかと。

 

ごちそうさまでした。