今日も 来て しまった

おいしく食べて、温かい布団で眠る。しあわせのかたちを考える日々の記録

定食春秋(その 527)湘南釜あげしらす丼

 

人の記憶は多岐にわたる。体験はエピソード記憶、知識は意味記憶、自転車に乗るなどは手続き記憶に分類される。内的動機や外的刺激でそうした記憶が呼び出される。

 

驚くべきことに、音楽や匂い、味などで、自分の奥底にある遠くかすれた記憶が出てくることがあり、「今夜の風の香りはあの頃と同じで」とのシャ乱Qの歌も頷ける。

 

古民家のどこかカビたような匂いで金沢の家が懐かしまれ、ジュンスカを聞けばニュータウンの坂を思い出す。そして、しらす干しを食べると、幼き日の食卓が浮かぶ。

 

食が細くて、食事どきになると隠れてしまうような子どもだったので、白米を食べ切るのは一種のボス戦だった。ラーメンライス好きな今では信じられないけどね。

 

しらす干し。白いパックで、たまに小さなタコも入って、かすかな塩っけがあって。ふりかけにいい顔をしない母親だけど、しらす干しならどれだけ食べてもよかった。

 

そんなわけで、五十がらみの今でも、しらすをたくさん頬張ると、藤子不二雄ルパン三世のアニメを観ながら、座卓に並んだごはんを食べていた夕べが思い出される。

 

兄も姉も、オカズをとるような人たちではなく、マイペースにチビチビと食べて、それでもごはんが食べきれないと、塩とお湯をかけ、飲み込むように片づけたもんだ。

 

さて、本日のしらす丼。湘南釜あげというだけあり、新鮮だし、上品な味わいで、タコなど入っていない。そのまま食べても文句なしだけど、ワサビ醤油もよく似合う。

 

揚げ玉と豆腐の味噌汁、お新香、切り干し大根の煮つけ。どれもおいしく、刺激などないゆえに、安心、安定の味がうれしい。

ざぶざぶと遠慮なくしらすを食べてゆく。

 

白米がなくなるころ、残しておいたキュウリの浅漬を丼ぶりの内側に滑らせて、しらすを1匹残さずかき集める。育つ前に食べるんだから、残したらバチがあたるよね。

 

ごちそうさまでした。