江戸時代はマグロのトロを捨てていた。というと当時の人々の蒙昧無知を笑うむきもあるけど、当時マグロは下魚とされていたし、冷蔵輸送もなく、脂は忌避された。
時代により常識は変化するし、我々の生活様式も未来人には嘲笑されるかもしれない。えっ、令和のコロナ前までは満員電車が常識だったんですかってならないかな。
本日の丼ぶりは「宮城県産の生大トロ」だという。漁から始まるコールドチェーンによって実現された生の大トロ。年齢的には赤身がおいしいけど、たまにはいいよね。
大トロだの中トロだのは、大学の頃に古本屋で買った美味しんぼで知った気がする。帰省時に母親にリクエストしたら「あんな脂っこいもの?」と江戸期のリアクション。
まあ仕方ない。戦中生まれの両親にとって「刺身」はハレの日かお盆、お彼岸のご馳走だった。それに母親は生ものを信用せず、刺身が食卓にあがることも少なかった。
さて、大トロ丼。見たところサシはそれほどでもない。小皿でワサビ醤油をつくって回しかけひと切れ食べると、サッパリした赤身と適度な脂のバランスが素晴らしい。
なんと言えばいいのか、ちょうどよい。自然のものだからヒトに食べられるために生育しているわけではないのに、おあつらえ向きにおいしい、自然の摂理の不思議さ。
バナナなんて、手で持って皮を剥いて食べるためのフォルムだし、進化とは淘汰だけではないとしみじみわかる。ともあれ、生魚は単独で食べられるものでもない。
改めてわかる醤油の偉大さ。マグロの旨みを引き出しつつワサビや大葉とともに生臭さを封じ込める。現代の当たり前は、先人の創意工夫の上に成り立っているのだな。
ごちそうさまでした。